
1 名前:
ピアノを弾く大酋長φ ★[sage] 投稿日:2012/02/03(金) 05:03:54.96 ID:???
日本の独島妄言、米国も責任ある
[チョ・サンモの興亡盛衰]日本外相、外交演説で不当な主張
チョン・サンモ平和民族文化研究院理事長
日本の独島(トクト)妄言が最近また出てきた。日本外相が独島に対する不当な主張を外交演説でしたことは前例のないことだ。その上、日本総理まで韓国政府の抗議と発言取り消しの要求を受け入れることができないとして加勢した。
昨年3月には日本文部大臣が「竹島は日本の固有領土だ」、「韓国が不法占拠している」という内容の日本の教科書を検定に通過させた。忘れた頃に日本の独島妄言と教科書問題がいきなり現れて、過去の痛い傷をひっかき回したりする。
私たちの過去の傷に触れるのは日本の妄言だけではない。米国議会図書館が独島をリアンクールに名前を変えようとして論議になることもあった。独島がややもすると紛争地域になるところである深刻な問題だった。米国はなぜ独島問題に二重的な態度を見せるのか。
独島は大韓帝国が1900年に勅令第41号で鬱陵島(ウルルンド)とともに韓国領土と宣言したものを5年も遅れて日本が強制的に奪ったのだ。日本が当時、露日戦争を始めながら独島周辺の軍事戦略上の価値を重く見たためだった。
日本がこのように強奪した独島はカイロ宣言の精神にしたがって韓国領土に帰属するのがあまりにも当然だ。カイロ宣言で「日本は暴力と貪欲によって略奪したすべての地域から追放されるだろう」としたのではないのか。

宣言で日本の主権は本州と北海道、九州、四国と連合国が決める小さな島々に限定すると指摘されていた。戦争末期、日本の鈴木首相もカイロ宣言の趣旨のとおりに日本の独立が保証されるのなら明治維新以前の領土に縮小されるのを受け入れようとした。
それで1945年、米国最高司令部訓令第677号は日本から韓国領土として分離する島々は鬱陵島、独島、済州島(チェジュド)と列挙した。米国が1947年3月に作成した対日講和条約の最初の草案から1949年11月の5次草案まででも独島は韓国領土と明示されていた。
問題が生じたのはこの年12月の6次草案からだ。 独島が抜け落ちてしまったのだ。消極的に対処した李承晩(イ・スンマン)政府が一歩遅れて独島を韓国領土としなければならないと申し出たが、受け入れられなかった。結局1951年9月に調印されたサンフランシスコ講和条約で日本が韓国に返還しなければならない島として鬱陵島などが含まれたが、独島は抜け落ちてしまった。
なぜこのように変わったのか。米国の東北アジアの戦略的利益が変わったためだった。
1945年当時、米国の東北アジア政策は中国を強化して日本を弱化させるというものだった。この政策が1947年下半期から変わった。
米国とソ連の冷戦関係が全面的対決状態に入り、中国の内戦で共産党が国民党に勝った。米国は共産化された中国とも関係を結ぼうとしたが、中国はソ連と手を結んだ。米国が最も嫌がる状況が展開した。
米国はアジア政策の中心を中国から日本に変えた。日本が米国のアジア政策の戦略パートナーに決定された。米国の戦略的利益の保護と共産主義の膨張抑制機能を日本が担当するようにしたのだ。
(>>2以降につづく)ソース:メディア・オヌル(韓国語) 入力:2012-02-02 10:36:01 露出:2012.02.02 10:36:22
http://www.mediatoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=100097
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1328213034/
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